山際澄夫のホームページ

松下さんのレポート 7月11日

7/10に撮影した写真を送付させていただきます。
プレハブの建物が志津川中学仮設炊事場です。内部は写真のとおりある程度の広さがありますが
冷房がないので、皆さんヘバリ気味でした。
東側は、朝、直接太陽が窓にあたるので、断熱フィルムを送る必要があると思いました。南側は断熱
フィルムよりもスダレが良いか?と思います。
白いシャツの男性は炊事担当です。首に巻いているのは支援で送られたクールタイで、かなり気持ちいい
そうです。 黒いシャツの女性は世話人さんです。
庭を背景に写っているのは小泉(気仙沼)の世話人さんです。
それ以降の写真は小泉と歌津の風景です。
今は写真のとおり海は穏やかで絶景ですが、陸はご覧のとおりの状況です。気仙沼線は高架の部分が
ほとんどやられてしまっているため、早期の復旧は絶望的という印象を受けました。
土日は写真観光の人が多いとのことで、当日もひと目でそれとわかる輩があちこちで
写真を写していて、少し腹が立ちました。
7/9.10と現地では志津川、戸倉、小泉、歌津をまわり、合計100Kmも走りました。南三陸町は広いですね
・・・私の住む川崎市よりも広いと感じました。
私は5月、6月と今回、3回目の南三陸ですが、がれきの量はあまり減っていないように見えました。
が、良くみると分別や集約が進んでいるな、と感じました。それと道の端には仮設の水道管が敷設されて
いて、いままでの地下の水道管を修理して使うよりは合理的だと納得しました。
歌津の世話人さん宅では水揚げしたばかりの毛ガニとツブ貝をご馳走になりました。生のツブ貝は
生まれて初めて食べましたが、絶品でありました。また、焼いたツブ貝はこれまた絶品・・・
サザエよりもおいしいと思いました。
残ったものをパックに積めていただき、夜にホテル観洋の世話人さんたちと酒の肴にさせていただきました。
 さて、本題です。今回は歌津、入谷、小泉の世話人さんにお話を伺うことが出来ました。
不思議なことに皆さん共通していたのが、「格差」の問題でした。震災から4ヶ月がたち、一面のガレキ
だった町がいくらか動き始め、漁師としての仕事や臨時職員の仕事など職種は別として、とりあえず仕事に
就く方が出てきただけでなく、避難所から仮設に移る方たちも増えてきて全体が「震災緊急モード」から
「震災脱出モード」に変わりつつあります。
 たとえば、入谷の世話人さんは家は跡形も無く流されたものの、町の臨時職員になって避難所の炊事を担当
しておられます。
また、歌津の世話人さんは運よく助かった船と漁具を使って漁の再開に漕ぎ着けられました。
50人以上が亡くなった福祉施設で働いていた小泉の世話人さんは津波で首まで浸かりながら九死に一生を得て
、現在は別の福祉施設で働いておられます。
ところが現実にはそうで無い方もいらっしゃいます。たとえばこのホームページで紹介されていたような高齢で
動く余力が無い方、このような方は我々のような支援の意思を持つ人間に対して発信することができません。
パソコンはおろか携帯も使うことができません。「今回の大災害はSOSを発信する能力のある者とそうで
ない者の格差を無意識のうちに世界中に拡げてしまいました」。
我々は3/11の後、支援の先をインターネットに求め、偶然クリックした山際さんのホームページを見て
支援の意思を行動に移しました。それはそれで非常に良いことなのですが、SOSの発信元に支援が集中
してしまうという弊害をもたらしてしまいました。政府の言葉を信じれば、お盆を過ぎる頃には避難所は
閉鎖され、避難されていた方々はそれぞれに仮設に移られていきます。
そうなると、SOSを発信できる方とそうでない方の格差は現在よりも広がってしまい、現在よりも
ひどい結果となってしまうことが予想されます。南三陸町の世話人の方々には非常に申し訳ないことですが、
今後は世話人の方々にご尽力をいただいて、SOSを発信できない方々からの声や要望を集約していただき、
それに対して我々がSOSを発信できない方たちに支援を行っていくのが良いのではないかと考えております。
 それと、今回の訪問で大きく感じたことですが、世話人をされている方々は非常に前向きで行動力もあるため
、将来に対しての不安はあるにせよ、私自身はこの方たちは大丈夫だな・・・と思っております。ただ、被
災地に限らず、東京でも同じことが言えるのですが、世の中にはあまり前向きの考えを持っていらっしゃらない方も
おります。そのような方が現在のようなまったく先が見えない状況におかれて、
周りが少しずつ前に進みだすと、取り残され感というか何と言うか・・・、前向きの方々に対して
攻撃的になってしまいがちになります。現実にお話を伺った方からは、そのようなお話が出ておりました。
残念ながら、そのような後ろ向きの考え方を持つ方に対しての有効な処方箋はありませんから、我々は
世話人の方々のご苦労を理解して適切な支援を続けていくのが最良の方法ではないかと考えております。
今後、格差はどんどん開いていき、それによる弊害も大きくなっていくものと思われます。
 さらに、復興の話ですが、宮城県の知事さんは漁業の集約と特区化を提唱しておられます。一見、
なるほど!と思う点もあるのですが、歌津の世話人さんのお話を伺ってみると漁師さん達が反対する
理由が理解できました。ビジネスというか、都会で机に座って得意先を相手にする考え方からすれば
集約というのは合理的な話です。ですが、なぜ漁師をやっているのか?という立場からすると話は
まったく違ってきます。漁師は厳しい仕事ですし、時には危険を伴います。穏やかなときだけではなく、
時化で休まざるを得ない時もあります。では、なぜ漁師をやるのか?それは自分の働いた結果が明確だからです。
「一領具足」という言葉をご存知だと思いますが、漁師さんは規模の大小は別として一国一城の主です。
そのような方々に対して極端な言い方をすればサラリーマンになれ、というのは無理がありますし、
無理に押し通しても上手く行くはずはありません。
いつ、どのような形でまとまるのか、まったくわかりませんが、紆余曲折が予想されます。
 さらに町の復興ですが、例えば入谷の世話人さんは美容室の再建を考えておられました。
ところが政府の方針がまったく定まらないため、町の方針も定まらず、再建を考えてはいてもどのような
所にどのような形で再建すればいいのかまったくわからないというのが現状です。先走りして店を再建して
みたものの、まったく違う所に居住地区が出来てしまったら、何のために再建したのかわからなくなって
しまいます。政治屋の人たちは国が震度1で揺れたら、町は震度5で揺れてしまう!ということを知って
ほしいものです。
書きたい放題書いてしまいましたが、世話人の方たちとお話して感じたことをありのままに書いてみました。
来月になったら再び現地へ赴くつもりでおります。

【追補】
あと一ヶ月もすれば避難所の皆さん仮設に入ることになりますが、そのときが本当の支援のスタートになる
のではないかと考えます。一部の意欲がないばかりか、意欲のある人を攻撃する一部の方々への支援はもっての
外ですが、高齢の方などに対する支援は欠かせないものになるでしょう。また、そのときが世話人の方たちの
腕の見せ所、逆に言うと苦労の始まりになると思っております。

【蛇足】
 今回、仕事の車にカーナビを取り付けて現地に乗り込んだ訳ですが、「その先のガソリンスタンドを右に・・・」
ガソリンスタンドは跡形も無い! 「次の信号を直進・・・」 信号も道も流されちまってる!
「次を左に曲がって橋をわたって・・・」橋なんか流されてねえぞ! の連続で、変に楽しいドライブとなりました。
一度は、車は少ない・・・海さえ見てれば眺めはいい・・・信号はほとんどない・・・取締りはやってない( はず )
と調子に乗ってブンブン走っていたら、いきなり前方の道は流されて海・・・・アチャ〜!急ブレーキと急ハンドルで
かわしたものの、積んであるミシンは車の中で七転八倒・・・・やべぇ!と思ったものの内心は楽しくて大笑い・・・
不謹慎かもしれませんが、自分の中では被災地訪問は楽しい部分も多々あるのです。自分の運んだ物資が喜ばれ
自分の会社の製品が喜ばれ、自分が話しを聞くことで喜ばれ、行く甲斐があるというものです。
こんな感覚を他の皆さんに持っていただければ支援の輪は大きくなると思うのですが・・・。

※これを見ていただいている皆さんも南三陸、気仙沼を訪問してください。
世話人さんをご紹介します!条件はただひとつ。東北の復興を
心から願ってくれていることです!